Lori Scacco – Interview

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Circles – Prefuse73、Savath & Savalasなどで活躍する才人スコット・ヘレンのレーベルEastern Developmentsから2004年に発表されたアメリカ人女性アーティストLori Scaccoの唯一のソロ作品が、発売から10年経ってこの度日本のPLANCHAからリイシュー発売された。DabryeやAmmonContact、Soft Circleらをリリースしていたエレクトロニカ〜ヒップホップ系のレーベルからの作品としては異色のアコースティック作品ではあったものの、HeftyのレーベルオーナーJohn Hughesをして、「my favorite female instrumentalist」と言わしめるなど、当時から多数の支持者を生んでいた。Town & Countryなどのシカゴ音響派にも通ずる静謐な空間を意識した音作りと安易なノスタルジーに逃げないエレガントな魅力は時を経て、より増すばかりだ。

Lori Scaccoはリリース当時SeelyというToo Pureからリリースのあるインディーバンドとして活躍していた。John McCentireがプロデュース、若き日のスコット・ヘレンがエンジニアを務めた2作を経て、紆余曲折の末、スコットがプロデューサーとしてアメリカのKochからラストアルバムとなる『Winter Birds』を発表。国内には流通もされなかったレアな作品となってしまったが、当時のSeelyのことからアルバム『Circles』に至るまでLori Scaccoに話を聞くことができた。


こんにちは、ロリ!最近の調子はどうですか?

順調です。この2時間スタジオでアルペジエーターを演奏していたから、頭の中がぐるぐるしています。

まず始めに、私たちはアルバム「Circles」が日本でリイシューされてとても嬉しく思っています。

ありがとう、私も嬉しいです。私にとってもあのレコードはとても大切な作品で、今までの間ずっと関心が続いているなんて最高ですね。再び世に出してくれたOshiとPlanchaにはとても感謝しています、それも日本で。日本の人達はいつも応援してくれて協力的ですね。

「Circles」のリリースについて話してもらう前に、まず聞きたい事がいくつかあるんですが、Lori Scaccoとしてソロで活動する前はSeelyというバンドを結成していましたよね?まずこのバンドについて少し教えてくれますか?

Seelyは90年代初めに友人のSteven Satterfieldとアトランタで結成しました。92年に一緒に演奏し始めた頃は、二人とも建築学校の学生でsた。当初はStevenがボーカルを担当するギターデュオだったけど、後にEric Taylorがドラムに、Joy Watersがベース/ボーカルに加わった。4枚のアルバムをリリースしましたね。1枚目は地元アトランタのレーベルThird Eyeから、後の2枚はToo Pure、最後のアルバムはKochから発売されて、2000年に解散しました。

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バンドが作ったアルバムの中でも最後のアルバム「Winter Birds」が個人的にすごく好きで、バンドが解散した時はとても残念に思いました。もしよかったら、解散の理由を話してくれますか?

そういってくれて嬉しいです。あのアルバムは、レコーディングから発売されるまでに約1年以上もの期間がありました。レコ発ツアーに向けて準備を始めるまでのしばらくの間は、長いブランクがあったのだけど、その間にベーシストがもうバンドを続けないと決断して、、、思いがけないことで受け止めるのに苦労しました。しかもあのタイミングにね。けれど私たちはそれぞれの意見を尊重し合っていて、立場もみんな平等で代わりの人なんていないメンバーが集結してバンドは成り立っていたと思うから、その時がSeelyの最後となりました。

その後、残った3人で名義を変えて1年程音楽を続けました。そして私はソロでピアノを弾く様になって、「Circles」が出来上がったんです。昔のバンドメンバー達は今は幸せに暮らしていて、それぞれの取り組んでいる事を満喫しているとはっきり言えます。当時はとても緊迫した空気が流れていたけど、今は誰もその時のことを悪く感じていないと思う。だけどSeelyがどこまでいけたかを見てみたかったですね。

Seelyの音楽は端的に言えばギターロックだったので、「Circles」を聴いた時は全く違うスタイルで驚きました。チェンバーミュージックの様で、聴いていてとても心地良い雰囲気があります。いつから自分の音楽を作り始めるようになって、このスタイルに行き着いたのですか?

バンドが解散した直後から自分の音楽を作る様になりました。8トラックのデジタルレコーダーを使って録っていたんだけど、私は作曲する時に順を追わずに曲をつくる傾向があることに気づいたんです。よく即興セッションの音源等から見つけたフレーズをいろいろ組み合わせて、どうなるかを試す。コラージュみたいに切って貼るような感覚ですね。出来上がった曲を聴くとあまりそれは感じられないけど。自分の傾向に気付いてから、そういった作曲スタイルに適していない制限だらけの8トラックの手法が嫌になって、音楽制作ソフトのPro Toolsを購入したんだけど、その後はずっとそれを使っています。

どんなアルバムを作りたいかという考えは明確にありました。その数年前に聴いていたTalk TalkのMark Hollisのソロアルバムにとても影響された。ミニマルな音と心地さが素敵で、独自の空気が流れる、とても深い内容でした。メロディーやハーモニー、リズムといった要素を考えるのと同じ様に、パレットから色を選ぶ様に音色を選び取って感情を表現していきました。今でもそうやって曲作りが始まります。まず第一に音色の事を考えますね。

このアルバムを録るにあたって構想は既にあったのですか?レコーディング当時に聴いていた音楽や毎日の生活からの影響はありましたか?

全部自然な音で作りたかったんです。ある要素を分解するためにパソコンを使ったりはしたけど、エレクトロニックか生楽器から全ての音を録って、合成されたものや電子音は一切使わないという決まりを作りました。一曲だけシンセサイザーを使った曲はありますけど。「Imitation of Happiness」という曲にMoog Rogueを弾いたけど、その時だけ。空間や反響の音を意識しました。ローズ・ピアノや鉄琴で鳴らした単音やコードをしばらく響かせてそれを録ったり。そしてその音源の最後の残響部分だけを切り取って、倍音をつくるために重ね、さらにその音量を細かく調整して、テクスチャーを加えました。この手法はアルバム全体に使っていますね。

アルバムはアトランタのアパートで全部レコーディングしました。コンデンサーマイクと音の響きが良い木製のバスルームで。完璧な環境では全くないけれど、自然な流れの中で行った方法です。曲中の静かなパートで雑音がたまに聞こえたりするんです。きしむトイレの蓋に座ってギターを弾いていたから。

「Circles」は100%、愛についてのアルバムなんです。恋に落ちたり、悩んだり、希望に満ちたり失ったり、傷ついたり。そういった状態を同時に経験するような「愛」から生まれた作品です。これ以上説明するのはやめておくけど、最後にはうまく仕上がりました。

ウッドベース(Kopernik)以外の楽器全てをあなたが演奏していますよね。あなたのことはギタリストだと思っていましたが、アルバムではピアノとローズ・ピアノを主に弾いています。意識的に控えめに演奏されているように思えます。そこまでエモーショナルではないけれど、抑制していながら、とても感情に訴える音だと思います。

私にとって初めて触った楽器がピアノだったけど、その後はしばらく諦めていました。このアルバムをつくりたいと思った大きなきっかけは、ピアノの良さを再発見して、その音についつい反応してしまう自分に気づいたこと。私にとって楽器は曲を特徴づけるもので、ピアノを使う時とギターを使う時とで作曲の仕方が全く違ってくる。あと、また同じ事を言う様だけども、音色が全てですね。今までとは試した事のない新しい手法で曲をつくる自分に気づいて、とても興奮しました。

「Circles」の音に関しては、メロディー同士の関係性への好奇心と当時の私の技術レベルが大きく影響していたと思うわ。それまでは楽器の弾き方以外、音の合成やソフトウェアのことなんて何も知らなかった。だから、いわゆる”アンビエント”なアルバムの作曲に着手するとしても、自分の出来る範囲でやるしかなかったわ。

「Circles」がレコードラックに並べられるとしたら、どの作品の横に置かれたいですか?

 どの作品でもいいからArthur Russellのアルバムと一緒に並べられたら嬉しいですね。

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アルバムはScott HerrenのレーベルEastern Depelopmentsからリリースされましたが、彼はあなたの長年の友人ですよね?Seelyのアルバムもよく彼が関わっていました。

Scott (Guillermo)は私が17、8歳の時から知っている仲のいい友達で、90年代半ばには一緒に住んでいたこともあったの。最近はあまり会っていないけど、彼は私にとって家族みたい存在ですね。彼についてはたくさん語れます。才能があって、まぬけで、うっとうしい(笑)。音楽や他の興味のある事に対してとても熱心に勉強していますね。洞察力が鋭くて、彼が若かった頃もよく周りの人に自分の知識やアイデアを惜しみなく共有していました。そしてとてもセンスが良いの。EastDevでは、見向きもしてくれなかったような人も含め、様々な人の関心を「Circles」に集めてくれた。ヒップホップ・マニアの人が「Love’s Journeyは超イケてる!」とコメントしてくれたこともあって、とても嬉しかったです。

10代の頃のアイドルは誰でしたか?当時はどんな音楽を聴いていましたか?

 一番夢中になったアイドルといえばおそらくGo-Go’sですね。けどそれはとても幼かった頃の話で、確か当時10歳ぐらいでした。85年まではニューヨークのスタッテン島で過ごして、初期のフリースタイルにハマっていました。Lisa LisaやThe Cult Jam、Freeez、Debbie Debといった、地元のラテン系やイタリア人の若者達のつくる音楽が、夜遅い時間帯によくKiss FMというラジオ局から流れていたんです。その時は、ニューヨーク以外に住む人達には全く知られていない様なシークレットトラックを流しているんだと思って聴いていました。フリースタイルが主流になってからは、ヒドい音楽がたくさん世に出てきました。夏の夜遅くにラジオの前で聴いていた時間が、鮮明な思い出として今でも残っています。その頃は13歳ぐらいでしたね。

その後ジョージア州に引っ越してCocteau Twins、Joy Division、The Cure, New Order等のバンドを聴くようになりました。残りの十代はそういった音楽を一番よく聴いていました。同じ時期に、ギターの先生が教えてくれた70年代半ばのFleetwood Macの作品も好きになりました。

音楽を始めたきっかけは? 

私が4歳の時に両親が小さなオルガンを買ってくれたんです、 弾いていた記憶はあまりないんだけど。それで8歳から14歳までピアノレッスンを受けていたけど、当時はつまらなく感じていたクラシック音楽を教わっていて、練習もあまりしていませんでした。85年にニューヨークからジョージア州の田舎に家族で引っ越してとても憂鬱だったけど、そのカルチャーショックを、ピアノを辞めてスピーカーが内蔵された安いイエレキギターを買ってもらう口実に使っていましたね。耳で覚えながら順調に上達できたから、16歳の誕生日にもっと良いギターとアンプを買ってもらえるようにお願いしたんです。それ程のお金を費やすならレッスンも受けなさいと両親に言われて1年半ほど受講したけど、その後は独学で練習しながら続けました。

以前はアトランタに居て、今はニューヨークを拠点としていますね。生まれ育った環境が与えた影響はありましたか?

「Circles」のレコーディングが終わってから3日後にニューヨークに引っ越して、それからはずっとイースト・ビレッジに住んでいます。いろんな意味で街の歴史との繋がりを感じるんです。ローワー・イーストサイドに足を運べば、1950年に父親がイタリアから移住してきた時に住んだアパートや彼が十代の頃に働いていた食品雑貨店があるし、リトル・イタリーには昔母親が20年代から40年代まで暮らした共同住宅も残っている。

あと、70年代と80年代初期にダウンタウンで起こった音楽やアート、パフォーマンスといったシーンにとても興味を惹かれます。No WaveやArthur Russell、Keith Haring、Philip Glass、the Kitchen、the Poetry Project等。そういった歴史を実際に体感できることはとても刺激的ですね。街は大きく変わったし、昔あった気迫は企業によって外に追い出されてしまいました。今ではもうマンハッタンはお金中心に動いていて、クリエイティブなシーンはブッシュウィック等の別の場所に散らばって独自に発展していきました。けれど私は昔ここで活躍してきた人の精神や興ったムーヴメントのエネルギーを日々の生活の中で感じ取って過去から学び、まだここに残っているものを大切に思っています。

90年代に過ごしたアトランタでの暮らしはとても良かったですね。それぞれ異なる活動をしていたミュージシャン達が集まるコミュニティがそこにはあって、みんな協力的で結束力が強かった。毎晩ライブを観にいっていた気がします。とても刺激的でワイルドで楽しかったですね。けどバンドが解散してソロ活動を始めてからは、私の音楽を気に入ってくれる人はいたんだけど、そういった居場所を見つけることはできませんでした。
アトランタはずっと大好きな街です。たくさんの人が素敵なことをしていて、クリエイティブシーンや街全体を活き活きとさせていました。そしてとてもマイペースな街ですね。とても居心地良く感じていましたけど、私は次に進む準備が出来ていたんです。常にハイクオリティな作品を作り出している人達が周囲に沢山いるんだと感じるプレッシャーが必要だったんです。私がしなかったら、他の誰かがするような、そういったプレッシャーをニューヨークは与えてくれますね。

普段は何をして過ごしているのですか?多数の映像サウンドトラックを手がけていると聞きましたが。

そうですね、短編映画や新しい形式の広告作品、インスタレーション等、映像メディア用に曲を作っています。作曲するお金を稼ぐ為に、作曲をするようにしているんです。あと、デザインギャラリーを運営していて、これによって自由にフリーランスの仕事を選べるようになりました。けど何が起こっていようと、ほぼ毎日自分のスタジオにいますね。

アメリカのバンドSeelyがイギリスのレーベルToo Pureと契約した時は話題になりましたよね、今ではインターネットでみんな繋がっているから、国境を越えてバンドとレーベルが契約を結んでも誰も驚かない時代になりました。そういえば、初めてあなたと連絡を取り合った時はmyspaceを通してでしたよね。当時はmyspaceの時代でした。インターネットからの影響や音楽の地域性みたいなものについてどう思いますか?

そうでしたね。インターネットに関しては、愛憎の入り交じった感情を持っています。それまでに聴くこともなかったであろう音楽の発見を可能にさせ、アクセスを容易にさせたことはとてもありがたく思う。だけどもデジタル音源がiPod世代を生みだし、音楽を使い捨てられるものにしてしまった。mp3の出現によって手に取れるアート作品としてのアルバムという概念が薄れ、また、曲が違法で簡単にダウンロード出来る時代になって所有権に対する意識が弱まってしまった。インターネットは文化を大きく変えました。だからバランスを保ちながら、モノとしての価値を保持することが大事だと思います。音楽を手にとって鑑賞する時、未だにとてもワクワクしますね。

「Circles」は日本のレーベルPLANCHAからリイシューされましたね。あなたの持っている日本の印象を教えてください。

ずっと日本で演奏してみたいと思っていたんです。食も楽しみたいですね。近い将来に実現できればいいですね(期待しています!)。

ところで、もし日本でカラオケに行くとしたら、何を歌いたいですか?

この3曲ね。

Neneh Cherry – 「Buffalo Stance」
Pat Benatar – 「Promises In The Dark」
Madonna – 「Burning Up」

最後に、これからの予定について教えてください。

当面はもっとライブする予定です。最近はずっとソロで演奏しているんですが、演奏している曲はほとんど新曲で、いろんな街で演奏しながら曲を更に向上させていきたいですね。今やっている曲は次のソロアルバムに収録される予定です。あと友達のLauri Faggioniとコラボレーションもしていて、来年ぐらいに発表できればと思っています。彼女は素晴らしいアーティスト/映像作家で、ずっと一緒に何かできればと互いに思っていました。あと、Stormsのレコーディングも近いうちに進めればいいですけどね。9月に発表されたシングル「Colores」からもっと推し進めたいから。今後も期待していてくださいね!

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Lori Scacco – Circles

今回Lori ScaccoにはPastel Recordsが運営する公演喫茶でもインタビューが公開されている。Seelyでの録音の様子やCirclesの作品背景などFOUNDLANDよりも 興味深い内容になっているので、こちらもぜひチェックしてもらいたい。

【 インタビュー】Lori Scacco(ロリ・スカッコ)〜「Circles」は、私にとって正直で、欠点があり、あるがままなのです。 – 公園喫茶

翻訳:Yuri Yoshioka
協力:Lori Scacco, PLANCHA, Pastel Records